用語集「せ」です

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西武101系:「せいぶ101けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)
昭和44年の秩父線開業時に特急車5000系と合わせてデビューした新性能通勤型電車。昭和51年までに276両が製造された。車体デザインは801系と同様だが、新型のFS072、372型台車を履き、勾配線区用の抑速ブレーキを装備している。制御方式は抵抗制御で制動方式はHSC−D。701系等と共に西武タイプを確立した本形式であったが、近年廃車が進み2002年現在では86両まで在籍車両が減ったが、今後も縮小は続くと思われる。一部車両はワンマン化改造が施され、多摩川線や多摩湖線国分寺口で運用されているが、これらの車両が101系としてはもっとも末期まで運用されるであろう。なお、他社に移った車両はまだ少数で131F及び135Fの4連をそれぞれ3連化した2本が総武流山に移っただけである。101系は結構撮影しているほうだが、そろそろマジで記録写真を撮っておかないとヤバイね〜。

西武351系:「せいぶ351けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)

登場は昭和29年。登場時は501形であった。モハが17m級でサハが20級の3つドア車。その後の増備車はモハも20mになり、17mのモハは411形になり、更に351系になった。西武に最後まで残った釣り掛け赤電で、晩年は中間にサハ1311を挟み込み、MTMの三連で多摩湖線の萩山〜国分寺間を行ったり来たりしていた。引退は平成2年で、後にクモハ355が登場時の姿に復元され保存されるに至っている。同系車が大井川鉄道で現役であるのは嬉しいところ。シーズン中の土、日曜には国分寺〜西武遊園地間をロングランする準急運用があり、良く乗りに行ったものだ。

西武401系:「せいぶ401けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)

昭和38年から43年にかけて新製された、3ドア正面切妻タイプの二両固定編成車。全面は451系、側面は701系タイプで、途中から張り上げ屋根の801系タイプで製造された。新製当初は411系を名乗り、釣り掛け非冷房であったが昭和53年から順次新性能化され、長らく新宿線系統で701や801の増結用として使われた。西武からは平成8年に引退し地方私鉄に移っていった。20m車ながら、2両固定3ドアで冷房車という使い勝手のよさから、上信、三岐、近江の各社に全車が譲渡された。

西武451系:「せいぶ451けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)
昭和34年にデビューした、正面切妻型の3つドア20m全金車。それまでの湘南型とはことなり、国鉄101系を意識したような前面デザインとなった。2、4、6の各編成があり、4連、6連は中間にサハを組み込んでいた。台車はTR14で、電動機は100kwであった。うきはの幼少時代にもきわどく生き残っており、多摩川線などで乗車した覚えがある。とにかく非常にうるさい電車だった。平成になる前に西武から引退し、一畑、上信、三岐に一部が譲渡されていった。後年、一畑で再開した451は・・・・・・やっぱりうるさかった・・・

西武501系:「せいぶ501けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)

@昭和29年にデビューした戦後西武初の新型車。湘南型のマスクに17mノーシルノーヘッダーのボディの近代的な車両。なお、同時に製造されたサハは20mであった。昭和32年増備車からはモハも20mになり、変わりに従来の17mのモハは形式変更されて411系になり、更に351系となった。
A701系の6連化に際して、余剰となったクハを電装し2両固定編成としたもの。3編成が誕生し、新宿線で川越方に増結されて活躍した。701系マスクの401系と言えよう。401系は全車引き取り手が現れ、西武引退後も全車が健在なのに対し、こちらは早い時期に全車が廃車されてしまった。

西武551系:「せいぶ551けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)
451系に続いて昭和36年に登場した3ドア20mの車両。側面は451に準じているが、正面は501系のセンターピラーを細くしたようなタイプの湘南型となった。駆動方式は釣り掛け式で足回りは451と共通設計である。4両固定で登場し、後に571系を組み込み6両になった。さらにその後は571を先頭車化するために切り離し、最終的には601系のクハと組んで2連となった。晩年は西武園線や多摩川線で活躍し、西武引退後は一畑、上信、流山に譲渡された。また、一畑に行ったうちの2両は両運転台化改造されいまも2両ともが健在である。

西武571系:「せいぶ571けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)
551系の中間車改造として登場した二連切妻型の車両。車体デザインは451に酷似しているが、この形式のみ正面に埋め込み式の方向幕がつく。411の401化に伴い、捻出された空気バネのFS40台車を履いているが、駆動方式は釣り掛け駆動。この形式が西武最後の釣り掛け駆動車となった。晩年は多摩川線で活躍し、現在は三岐鉄道に一編成が残るのみ。

西武601系:「せいぶ601けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)
昭和38年に西武初のカルダン駆動車として登場した湘南型マスクの4両固定車。車体デザインは551に準じたもので、塗装もローズピンクとベージュのツートンカラーであった。この形式から中間電動車化された。モハは120kw電動機を架装したFS342、クハは廃車流用品のTR11を履いていた。後に中間車は701系に組みこまれ、先頭車は551系のグループに加えられ、比較的早い時期に601としての活躍を終えている。701引退とともに、中間車は全車廃車され、2001年に最後まで総武流山に残っていた1651が廃車になったことで全車が過去帳入りしている。西武初の新性能車としては終始地味な存在であった。

西武701系:「せいぶ701けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)
601系を母体に更に洗練されてデビューした高性能車。登場時はローズピンクとベージュのツートンで一個パンタ、非冷房だったが、同系列の801や401と共に後年は二個パンタ、冷房搭載、HSCブレーキ化、塗色もレモンイエロー一色になり平成8年に全廃になるまで活躍した。最終的に4連48編成が増備され、同系の801やバージョンアップ版の101も含めると、実に400両近くが西武に在籍、昭和50年代から60年代にかけては言うまでも無く同社の顔であった。現在、伊豆箱根、総武流山、上信、三岐の各社に在籍する。

西武2000系:「せいぶ2000けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)

ラッシュ時の新宿線の慢性的な遅延対策として、昭和52年、西武初の本格的4ドア通勤車(かつて国鉄63型と、その自社製造型をごく少数使用したことはある)として登場した。また、それまでの抵抗制御を捨て、西武初の界磁チョッパ制御でブレーキもHRD化された。この形式より、西武の本格的4ドア車の運用が始まる。一部が田無事故で廃車になったので、現在は122両が在籍している。

西武2000N系:「せいぶ2000えぬけい」:[鉄道]:(04/12/20更新)

俗に新2000系と呼ばれる、昭和62年から増備されたグループ。従来の2000系をベースに側窓の一段下降化、戸袋窓、側面行き先表示窓の設置、正面デザインのリファインが行われている。最初に登場したのは2000系列初の3M1Tの4連で、現在は全車が撤去されているものの新宿方の先頭車にはパンタが載っていた。平成4年まで増備され2、4、6、8連の各タイプ総計314両が新造され、現在の西武一の勢力となっている。また、当初新宿線用だった2000系もこのタイプから池袋線でも使用されるようになり西武のほとんどの線区で目にするようになった。性能は初期車とほぼ同じだが、最終増備グループの11次車では2197+2198の1ユニットだけ三菱製VVVFインバータを試験的に搭載している。以前、所沢から何気なく乗った池袋線の2000系が、発車時にVVVF音を奏でたのにはえらい驚いたぞ。

西武3000系:「せいぶ3000けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)

昭和58年から62年にかけて計72両が製造された8両固定、西武至上最後の3ドア車である。走行装置は2000系に準じた回生ブレーキ付の界磁チョッパ制御、車体デザインは101N系に準じているが、正面窓中央の桟がなくなり、側窓が二連ユニット窓、側面方向幕が付くなどの変更がある。台車は、クハはFS072、モハはFS372Aを装備。当初は池袋線に集中配備されていたが、現在は新宿線にも配備されている。8両固定で他車との連結が出来ないため、新宿線では主に拝島線系統の各駅停車に充当されているようである。近年、101系と同様に窓周りのベージュが廃され車体はイエロー一色となった。

西武4000系:「せいぶ4000けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)

昭和63年にデビューした、秩父線用の2ドアクロスシート車。101系の廃車発生品を再利用している為抵抗制御。4連12本が増備され、全車が武蔵丘検車区に配備されている。平日は秩父線内のローカル運用に就いているが、休日やシーズン中は池袋からの秩父鉄道直通電車に充当される。なお、その際は秩父鉄道の線内運用も発生する。また、4000系が多数快急運用にはいる土休日は秩父線の電車は101系が充当されることが多い。最近、自動販売機を撤去しワンマン化された編成も登場している。

西武6000系:「せいぶ6000けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)

平成4年に登場した地下鉄有楽町線乗りいれ用の10両固定編成車。平成10年までに10連25本が増備され、本来の地下鉄乗り入れ業務のほか一部は新宿線でも活躍している。台車はモハがSS125、クハ及びサハがSS025。制御方式はGTO素子タイプのVVVFインバータ。駆動方式はWN。一次車から四次車まではオールステンレスボディで、五次車以降はアルミボディになり、この系列は50番台で区別されている。また六次車からは戸袋窓、急行灯が廃止され、台車もSS150とSS050に交換された。地下鉄乗り入れ対応車はATCの装備も持っている。

西武9000系:「せいぶ9000けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)

平成5年から10連8本、80両が製造された4ドア通勤型車。厳密なる新車ではなく、101系の廃車発生品を利用した、機器流用車。車体デザインは2000N系に準じているが、パンタは一両あたり1基となり2000N系とは直ぐに見分けが付く・・・・・・と思ったら最近は2000系も一個パンタになった車両が増えているのであてにならんなぁ。その他の識別点は、正面貫通扉横の手すりが黒色に塗装されている点と、M車の床下に抵抗器が並んでいる点。もっと細かい点では、正面の電連が非装備だったり、方向幕がローマ字併記だったりする点。なお、2000系のパンタグラフ撤去車のパンタ取り付け部には何にものっていないが、こちらにはしっかりベンチレーターがのっている。台車はFS072と372。制御方式は直並列抵抗制御。制動方式はHSC−D。製造過程で中間車が完成するまでは4連で主に狭山線で運行されていた時期もあり、うきはも良く乗りにいったものである。

西武10000系:「せいぶ10000けい」:[鉄道]:(04/12/20更新)
5000系レッドアローの後継車として登場した現在の特急専用車。同車のシートピッチは国内随一の広さを持つ。シートピッチを拡大したお陰で編成中の座席定員が減少したため、5000系に比べ一両増車の7両編成になった。設計も製造も最新だが、5000系や101系の機器を流用したため昔ながらの抵抗制御である。この車両を持って、新宿線も本格的な特急運用が始まった。

西武多摩湖線:「せいぶたまこせん」:[鉄道]:(04/12/20更新)
国分寺から萩山を経て西武遊園地に至る新宿線系統の支線。多摩湖鉄道として開業し、後に西武に吸収され現在に至る。西武の路線の中では古い部類になる。運転系統は萩山を境に分断されており、全線を直通する列車は少数が設定されている程度である。萩山〜国分寺間はワンマン車が行ったり来たりするほか、朝ラッシュ時には国分寺〜一橋学園間一駅のみの区間列車も存在する。萩山以北は拝島線と直通運転で日中は小平〜西武遊園地間の運転が基本だが、朝夕は拝島線の列車と萩山で併結し西武新宿まで直通する急行運用がある。とくに、西武新宿発の「拝島・西武遊園地」行きのことを「拝遊」と呼ぶ。今は夕方の「拝遊」は無くなってしまったが、昔は二本待ってでも、新宿から「拝遊」に乗ったものだ。ちなみに、「二本」とは急行本川越行きのことなのだが、大抵、1本待てば本川越行きの急行には座って乗れるのだが、更にもう1本待って次ぎの拝遊に座って乗るのである。これで、武蔵大和まで1本で座って行ける。西武で併結運転するのはここと、秩父鉄道直通列車のみである。また、土日には西武新宿と西武遊園地間に直通の行楽急行も設定されている。かつては快速急行で、多摩湖線内の中間駅は通過だったが、途中から中間駅にも停まるようになり、最近とうとう急行に格下げされてしまった。また、一時期、拝遊は朝7、8時台の列車は上石神井には止まらなかったのだが、後にこの列車は快速になり、さらに最近急行に統一され、全車が新宿線の急行と同じ停車駅になった。また、最後の赤電こと351系が現役だった頃は国分寺から西武遊園地まで直通する準急もあったのだが、これも何時の間にか消滅してしまった。結局のところ、各停から準急、急行、快速、快速急行とほとんどの種別の列車がたかだが10キロ程度の支線を行き来しており、そのイレギュラーな運転形態と合間って西武一面白い路線だと思うのだがいかがだろうか?

前後重量配分:「ぜんごじゅうりょうはいぶん」:[車]:(04/11/25更新)
車を作る上で最も理想とされる重量配分。前後の車軸に等分に重量がかかるような状態。

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